

午前1時40分に起床。(目覚ましなしで目覚める)昨日は夜9時過ぎに就寝。しかし、1時間30分くらいで目が覚めてしまった。それから、1時間くらい寝付けず、12時前にまた寝付いたようである。しかし、寝たという気分ではなかった。2時前になったので、起床、すぐに切り餅を5個オーブントースターに入れて砂糖醤油で食べる。そして、インスタントの味噌汁、オレンジジュースと牛乳をブレンドし飲む。勝負服に着替えて気分を入れ替えて、気持ちをレースモードへ。いよいよ、2年前に夢の目標に設定した100キロウルトラに出場するときが来た、という感慨に少し浸る。
でも、出場は誰にでも出来る、15000円払ってエントリーしたらいいのだから。完走というか、ゴールできるまでになるためには、それなりの努力をしなくてはいけない。ただの思いつきでは、3日坊主になってしまう。それを継続するための固い意志を持たなくてはいけない。人がどうであれ自分は自分だ、やるんだ、という意志が必要である。走りたくて走りたくてうずうずしたなんてことは一度もない。ただ、習慣になってしまった…。というほうが適切だと思う。
でも、モチベーションを高めるためには、ランニングシューズを買ったり、ウェアを買ったりした。そんな楽しみも走るための誘導作用にはなった。56にもなって、若者のファッションが出来るのは走るときだけで、気分一新もよかったのでないかと思う。レースに戻ろう。3時15分になったので、マイカーで家を出発。会場近くの川端の駐車場に入れようと思ったらすでに満杯。すこし遠い網野グランドに行くように指示された。シャトルバスが出ていたので、乗せてもらい会場の網ティ丹後へ。大体4時前くらいであったか。まもなくスタート式が始まった。
坂本さんと徳光さんのトークで、緊張のムードを和やかに。「ニューヨークへ行きたいか!」「おう!」と会場の盛り上がり。「自分で行けー!」と徳光さん。みんな大笑い。いよいよスタート、カウントダウンが始まり号砲とともに大群が動き出す。
結構前のほうに位置したと思うのになかなか動けなかった。ゆっくりではあるが歩き、スタートラインを通過、暗い街の中に走り出した。こんな時間なのに、「いってらっしゃあーい」と声援をおくってくれるおばっちゃん達。ほんとに雰囲気を楽しみしばらく走る。
最初の一キロのラップが7:11と予定の7:00より若干遅い。しかし、スタートのロスがあったからそれはまぁこんなもんかと思い気にもしなかった。しばらく6:40秒台のペースで走る。磯の海岸を走っているときだったか前を走っていた女性が転倒した、幸い怪我もなくすぐにまた走り出したのでよかった。
暗いのでより注意しながら走る。最初の難所七竜峠を難なく通過、浜詰めのエイドも通過、サンカイカンもボトルにドリンクを入れてもらうだけで通過、やはり今朝は暑いのか、もう準備した700ミリがなくなった。いよいよ久美浜の町に入ってきた。市役所の〇〇君が走路員をしていた。声をかけたらビックリして笑っていた。
街中に入ると声援が増える。それでと言う事なのかペースが少し速くなってきた。応援の中からランニングの先輩の同級生から「おっ、〇〇君!(時計を見て)すこし速いと違うか?」と指摘された。冷静な読みであった。自分でも速い、飛ばしすぎとおもいながらついつい流れに任せて走ってしまった。
ウチの娘と家内が声援してくれた。ちなみに15キロから25キロまでは1時間をきっていた。久美浜の街を通過して小天橋へ。身長が150センチもないような女性が、長いジャージをはいて走っていた。このピッチでこの格好で100キロ走れるのだろうか?とすこし心配をする。勝手な取りこし苦労か…とも思う。
小天橋の村の中を走る。さすがに選手の宿舎となっている民宿街なので60キロの選手民宿の皆さんの声援がある。陸上部の後輩たちが審判をしている第1関門臨海学校後を無事通過。みんな、ビックリしていた。
箱石に入り、去年梨をいただいた〇〇さん所にきた。今年も私設エイドで梨を提供していたが、残念ながら一個もなかった。奥さんがちょうど忙しそうに家の中へとりにいくところであった。残念…。
行きに通り過ぎた浜詰エイドに今度は寄ってバナナなどをいただく。職場の仲間がボランティアで出ていてエールをもらう。そして塩江から2回目の難所七竜峠。オーバーペースが少し来たのか結構行きとは違う辛さが襲ってくる。ちょっとしんどいし、歩くか?と思ったら頂上に来た。(40キロ)そこで、また塩など補給して下りに入る。磯の漁村を通り、途中でサポートしてくれている妻に暑くなったのでノースリーブのランニングに着替える。
次のエイド浅茂川漁港のエイドに着く。ここでは職場の仲間3人がうどん係りでボランティア。「ダブルで行きましょうか?」といったので「いやいやこれで」という。ファイテンで足をマッサージと思ったがそんなまだ余裕がなかったので、走り出す。
網野の街中を再び走り、弥栄町へ。途中島津のエイドで職場の仲間のエールを受ける。それから、あじわいの郷の公園を1周。これが結構しんどい。登りがある。ランナーには目もくれず一家で遊んでいる。まぁ仕方ないか、と思う。そうだったらもっと村の中とか走らせて欲しいなと思う。あじわいの郷をでて、鳥取の村の中で、妻の叔父さん夫婦の声援をうける。「先はまだまだ長いぞー!ガンバレー!」と。「クソー、一番わかっているのにしんどいのにそんなこと言うか!」と思う。ここでやっと50キロ、半分くらい。
やがて、第2関門の弥栄庁舎に到着。ここでも、頭に水を3回ほどかけて、バラ寿司をいただき、バナナ・塩を補給、スタートする。しばらく、弥栄町の平坦地をはしる。晴れの合間をぬって稲刈りのコンバインが動いている。時折、ゆるい風にのって稲刈りの匂いが鼻に入る。残りやる気も80%を使い果たしたという感じ。約65キロ地点。吉永のエイドからすぐに依遅ケ尾の登りに入る。
後のことを考えたら、ここでは無理はしないほうが…という冷静な考えは最早ない。皆が歩き出しているのだから自分も歩いたらいいヤ。という甘い考えが先に出てしまった。このころだったか、妻にエアーサロンパスを足にふかしてもらうようになった。これが結構気持ちいい。少しだが走れるようになった。やっと峠に到着。
今度は転げ落ちたほうが速いと思うような下りが続く。足に衝撃からくる痛みが辛い。おまけに長距離を走っているので足が膨張し、縛っている靴紐にランナーズチップをつけているがその負荷が足の甲上部に当たっているので痛くなってきた。坂道の衝撃による痛み、チップの痛みに耐えながら苦しみながらくだりをクリア。
宇川保育所の第3関門に到着。そこでは、もう横たわって困憊のランナーもいるし、高校生にマッサージをしてもらっている人、徐々に辛さというか、この苦しみに闘っているランナーの雰囲気が全体からわかる。辛いのはみんな同じ、と思って水を頭にかぶってまたすこし栄養補給して走り出す。
平地が続いて欲しい、と念願。平地ならなんとか7分30秒くらいで走れる。辛さにも耐えられる。しかし、そうはいかなかった。宇川の橋を渡ると第2の難所の峠にさしかかった。またまた続く急坂登り。歩きしか最早エネルギーはない。歩いて歩いてとにかく早く歩いて頂上へたどり着こう、という気持ちだけだった。
でも、頂上近くだったか、天気もよかったので途中展望が開けて日本海が見える景色は最高で、心が一瞬ではあるが癒された。思わず、おう!と叫んでしまった。
頂上にたどり着いたと持ったら、また来た急な下り坂。後ろ向きに下っているふざけたヤツがいるなぁ、と思ったら足を故障から守るためにやっているんだ、とわかった。苦しいのはみんな同じ、でも自分にはあんな事はできないし、こんなへとへとの足にやったこともないことをやる冒険心はなかった。
このまま、足をだましだまし走るしかない。妻にエアーサロンパスを吹きかけてもらう事が一番よかった。2度の難所をクリアしていよいよR178に出る。職場の仲間が走路員をしていて、声をかけるとビックリした様子。R178の旧道に入って、また後半第3難所の乗原峠(?)が始まる。
ここでは、すこし傾斜もゆるく感じたので、ゆっくりでも走ろうと思い、3分の一くらいは走り続けた。下ると遠くに丹後庁舎の灯台の屋根が見えてきた。いよいよ、ゴールの雰囲気が感じられるようになった。途中の交差点で職場の仲間が走路員をしていた。自分の頭では丹後庁舎がすぐそこに見えるのに、そちらではない方向へ行けと指示をする。「えーまだそこに行かせてくれないのかよぉ!」とうらぎられたようなショックな気分を抑えられなく、辛い顔を見せてしまった。
宇川の河口付近の田んぼが広がる直線を走る。てんきてんき村付近では多くの沿道の皆さんの声援をいただく。やっと丹後庁舎最後の関門に到着する。頭に水をかける。気持ちがいい。もう、完全にクセになってしまっている。脳を騙して走れるように指令を出してもらっている。
そこでは、つみれ汁があったけど、やっぱり去年同様食べられなかった。すぐに、そこを出発。間人の街を走る。外れのエイドの近くで60キロに出ている一つ年下の〇君発見。歩いていた。追い抜くときに声をかけようか、と思ったが、どうかけていいのかも思い浮かばず、通り過ぎる。
エイドで職場の仲間のエールをいただき、またスタート。いよいよ最後の10キロ。根性を発揮するところ。自分との闘い。ペースは遅くとも平地で歩きは絶対に入れたくなかった。振り絞って走り続けた。R178から三津の集落へ入る。いよいよ去年完走の目標を無残にも打ち崩された三津の坂に来た。
チラッと上を見た、しかしそれからは足元に目をやり上を見ないようにゆっくりでも一歩ずつとにかく走る、とにかく走ると思い、やっと三津小学校のエイドについた。去年、ここのおしるこをいただいて元気がでたので、今年は2杯食べる。元気が2倍復活するかと思ったが、そうはいかなかった。また、水を頭にかけ、少しののぼりを上がり、下りを走る。
もう、ここまでくると声援も「あと、もう少し〇㌔だ、頑張れー!」という声援が増える。でも、さっきの所でも距離は同じ、いったいほんとは後何キロなのよ!と心の中ですこし怒りながら走る。
鳴き砂会館のエイドに到着。ここでも水を頭からかぶりスタート。掛津の坂を登ると思ったら、国道から左に入るコースに変更になっており、このゴールまえになって何でこんな遠回りさせるの?しかものぼりをいれるなんて…。とまたまた、心の中で怒りながらはしっていたら、妻の妹達と姪っ子が応援してくれた。やはり、自分のために声をかけてくれる応援は嬉しいと思う。
最後の坂を越え、いよいよゴールの網野の街へ走る。あと4キロ弱。ゴール目前の最後のエード付近で抜いたと思った〇君に抜き返される。クソーと思って何とかついていってゴール前で逆転しようと思ったが、差は広がるばかり。悔しいが仕方ない。ゴール前で大会ボランティアたちがタッチで迎えてくれる。もう、少しでゴールだ!と思ったらペースがすこしだけど上がってくる。
ゴールする選手を紹介するアナウンスが流れている。自分も紹介してくれるだろうか?とすこし心配する。ゴール直前で№カードと名前を読んでもらえて、ゴール。
「やっと、ついたー。という充実感というより、安堵感が先に来た。よかったぁー…」と。完走メダルを首にかけてもらって長いすに腰をかけてチップを外す。もう、チップを外す力もろくに残っていない。やっとの思いで外し、返却箱に入れて、妻とすこし話をして着替えをもらって更衣室に向かう。
ゴールしたら楽になれると思いきや、下半身の痛みは強く感じられ着替えもろくにうまく出来ない。時間をかけてやっとの思いで着替え、忘れ物に注意して妻の待つところまで歩く。妻は、大会から送られたサービスチケットで食事をしようと思っていたようだったが、そのチケットを自分が持っているとおもっていたらしく、勘違いで食べられなかった。
すこし、気まずかったが、悪かったなと思いながら妻に駐車場まで送ってもらって自宅まで運転して帰った。
改めて感じたこと。それは100キロという距離は生半可ではないこと。努力をしなくては、走れないしゴールできない。しかし、少々の努力では絶対に無理。今回の自分の挑戦で、走る前は多分大丈夫完走できると高をくくっていたが、甘い。
100キロを走る努力はもちろんしなくてはいけないが、さらに苦痛に打ち勝つ辛抱というか忍耐力が必要なのかと思う。それと、一人では困難に立ち向かう元気はでない。やはり、家族そして多くのサポートのエイドの皆さん、そして街頭の声援をくれるみなさん、さまざまな人のお陰をもらって自分の目標を達成できた事、を忘れてはいけないと思う。
だれでも、100キロ走れたらすごいだろうなぁ、と思う。しかし、それを実行に移そうと思うと勇気がいる、さらにそれを継続しようとする人はぐっと少なくなる、そしてトレーニングを重ねた上に参加してもすべてが完走できるというわけでもない。当日のコンディションもあるし、体調もある。
すべてを自分なりに受け入れて前向きに考えて立ち向かうものに辛抱の力、忍耐力が与えられるのではないか、と思った。それを実行できたものに、賞賛が与えられると思った。
今年の100キロ初挑戦はゴールをする、という最低限の目標はクリアできたものの、自分なりの感動のゴールにはならなかった。それは、自分のなかに甘さがあって当初の自分のペースを守れなくレースをしてしまった事、また他人も歩いているのだから自分もあるいていいんだ、という甘い考え方、言い訳をする自分が頭をもたげた事。
来年こそ、すべてをクリアできるような、レースをしてみたい、そしてまた新たな感動に浸りたいと思う。ありがとうございました。